明智憲三郎著「明智家の末裔たち」光秀の末裔が語る子孫たちの姿

書籍

はじめに

この本は明智光秀の末裔とされる明智憲三郎氏の著書です。
明智憲三郎氏は光秀の側室の子、於寉丸(おずるまる)の子孫とされています。
(一般的に光秀には側室がいなかったと言われていますが、後世の創作と言われています。)
元々、情報システム関係の仕事をされていたという明智憲三郎氏は「歴史捜査」と呼ばれる方式で、これまでの「本能寺の変」研究を抜本的に見直されています。


本書について

この本では前半部分で、著者が歴史捜査の結果、結論づけた「本能寺の変」の真相が書かれています。
巻頭には坂本城から落ち延びていく光秀の息子の姿が書かれた漫画が少しあります。
中盤から後半にかけては、「本能寺の変」後の秀吉の時代、江戸時代、明治から令和までの子孫の様子について述べられています。
秀吉の時代は反逆者の一族として、江戸時代は「明智軍記」の登場によって名誉回復。
しかし、明治から第二次世界大戦までの時代は皇国史観によって、再び反逆者として扱われていたようです。
著者の先祖も明智を名乗れず、「明田」と長く名乗っていたとか。
後半部に、著者の登場によって、全国各地の光秀の子孫同士で交流ができたことが書かれ、それぞれの苦難が描かれています。
光秀の子孫というだけで「裏切り者」と冷やかされる人生を送って来たことなどが述べられていました。
また、坂本龍馬やクリス・ペプラーといった人物が本当に光秀の末裔なのかという調査と考察もされていました。

ネタバレしない程度に明智憲三郎説の内容を……

著者による「本能寺の変」の真相ですが、著者は一貫して「怨恨説」を否定されています。
信長に恨みを持って光秀が決起したという構図はあくまで秀吉が作ったプロパガンダだという姿勢です。
確かに怨恨説については近年、特に否定されていますね。
近年はいわゆる四国説が主流となりつつあります。
四国すべてを長宗我部氏に与えるとしていた信長が、阿波を三好氏に渡せと方針転換した話です。
長宗我部氏と光秀は部下の斎藤利三を通じて深いつながりがあり、三好氏は秀吉とつながりがありました。
本能寺の変の起こった日は四国攻めの前日であり、近年、長宗我部氏と光秀らがやりとりをした文書が見つかっています。
著者はこの四国説をも取り扱いながら、もう一段積み重ねるという形で真相を語っています。
とあることが原因で、未来への不安を感じた光秀が、ある戦国大名と手を組んだという感じでしょうか……
それがどういう内容かはこの本を読んでください。

その他、面白いと思ったネタなど

著者は徳川家光の母を春日局だとされています。
これは昔からあった説ですが、過去の説では父親を徳川家康としていましたが、著者は父を秀忠だとしています。
秀忠の側室こそは春日局だったということです。
ただ、この件については、別の書で詳しく述べられているのか、断定理由は書かれていませんでした。

また、明智光秀=天海僧正説にも触れられていました。
これに関しては否定的な記述でした。

光秀の子供たちや縁者は坂本城落城前に脱出に成功しているという説も書かれていました。
事実、宣教師が残した記録に、坂本城での戦闘前に多くの者が逃げたという記録があるそうです。
光秀の嫡男とされる光慶は琵琶湖を船で横切り近江北部に逃げたのではないかとされています。
また、多くの者は当時光秀の味方で若狭国の小浜を押さえていた武田元明の元に逃げ、そこから全国に散らばったとされています。
行き先は土佐であったり、出雲であったり、伊勢であったり、関東地方であったりと様々です。
そこに現在も住んでいる光秀の子孫たちと話した内容なども収録されています。

光秀の家系図についても推論がなされていました。
光秀の妻子について、文献資料を丹念に調べられていました。
坂本龍馬についても、子孫ではないとは言い切れないとのことです。
クリス・ペプラー氏については、光秀の末裔というより土岐氏の末裔ではないかとのことでした。
ただ、その土岐氏の一族のひとりは光秀の子である可能性があるということでした。

最後に

この本は一連のベストセラーを発行されてきた明智憲三郎氏の最後の書であるかのような内容でした。
もちろん、これからも総決算的な本や総まとめのような本は出るかもしれませんが、時間軸としてはこれが最後なのかなと。
一連の歴史捜査について、個人的には学者のまとめた本より面白いと思いました。
内容についても説得力があります。
ほぼ、本能寺の変については解決できたと考えてもいいかのような内容です。
この本を読んだだけではそこまで細かいことはわかりませんが、一連の著書と合わせて読んでいただきたいですね。

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